宮腰健太|Miyagoshi Kenta

選手情報

選手名:宮腰健太(Miyagoshi Kenta)
ポジション:外野
背番号:Coming Soon(4月12日公開)
生年月日:1998年5月28日
出身地:石川県輪島市
身長:175cm
体重:75kg
投打:右投げ・右打ち
経歴:石川県立輪島高等学校野球部→佛教大学硬式野球部→株式会社矢場とん野球部矢場とんブースターズ
初めてのキャッチボール相手:父親
生まれ変わったらやってみたいポジション:ピッチャー
変えてみたい野球ルール:打ったら得点が倍になるチャンス打席
理由:エンターテイメント性が上がって面白くなりそうだから
インスタグラム:投稿・プロフィールを見る

宮腰選手の紹介

インタビュー動画(YouTube ショート)

インタビュー記事

野球を始めたきっかけを教えてください

小学生の頃、友達に誘われて公園で野球を始めました。

特別な理由があったわけではなく、当時地元の輪島市ではみんなが遊びで野球をしていて、自然と自分もボールを追いかけていた感じです。

誰かに影響されて始めたんですか?

父親は熱烈な野球ファンというわけではなく、あくまで「地元でみんながやっていた遊び」が野球だったということもあり、いまでもそれが続いているような感じです。

結構珍しいですよね(笑)

本格的に取り組み始めたのはいつですか?

中学生のときに野球部に入ったことがきっかけです。

選んだのは、部活の選択肢が少なくて「せっかくだしずっと親しんできた野球をやってみようか!」という理由でした。

ずっと遊びでやってきたので、入部した頃は初心者で分からないことだらけで、1〜2年生の頃はついていくのが必死で本当に大変でした。

周りはすでに野球をやってた仲間がほとんどで、僕と同じような初心者が3人だったので、とりあえず初心者の中では一番になろう!経験者には追いついて追い越そう!というモチベーションで頑張りました。

最後はレギュラーも取れて良い打順も打たせてもらったので、頑張って良かったです。

高校の頃のエピソードを教えてください

地元の輪島高校に進学し、2年生のときには輪島が舞台になった連続テレビ小説「まれ」が放送されたんです。

ドラマの影響もあって地元が盛り上がり嬉しかったです。

厳しさよりも楽しさが勝り、決して強豪校ではなかったのですが高校生活は野球の良い思い出が多いですね。

大学は地元を離れて京都の大学に進学されたのですか?

大学は京都の佛教大学に進学したのですが、野球目的というより歴史を学びたくて入学したのが先なんです。

歴史、特に日本史が好きで、将来は博物館の秘書のような歴史関係の仕事を考えていたのと、親から教員免許の取得を勧められていたので、ちょうど佛教大学が良いねというところにたどりつきました。

専門は戦後史で戦後処理のあたりが特に好きですが、歴史は手広く大好きです(笑)

教育実習も本当に楽しくて、母校の輪島高校で一緒に野球部の活動ができたのも印象に残っています。

大学では野球を続けたのですか?

はい、せっかくなら好きな野球も続けたいなと思って大学でも野球部に入りました。

しかし、それがびっくり、チームのレベルが想像以上に高くて驚きました。

それこそ高校で甲子園に出場経験があるメンバーとかが結構いたんで、これぐらい上手くならないとここでは出れないのかという感じで、モチベーションは下がらず逆に燃えたっていう方がありますね。

大学の野球部は結構つらかったですか?

部分的に見ればつらかったり、悔しかったことが多いのですが、トータルで見れば結構楽しんでいました。

3年生のときはチームが全国大会で準優勝して、その時は本当に嬉しかったです。

何度も逆転して勝ち進んだときは本当にしびれましたね。

ただ、全然もう目立つ選手じゃなかったので、1軍と2軍行ったり来たりで、結局メンバーにも1回も選ばれなかったのが心残りなのと、キャンプに参加するのも選抜制で1〜3年生はなかなか選ばれなかったのも結構悔しかったです。

進路はどんな風に考えていたのですか?

進路は地元に戻るか、野球をやるかっていうのを考えていました。

ただ、ちょうどコロナが流行してどこにもなかなか就活も全然進まないみたいな状況で、どうしようかなって悩みました。

そのとき、大学の方で野球したい人だけ集まれみたいな感じの時があって、そこに参加して次の就職先が決まりました。

会社のクラブチームではどうでしたか?

名古屋名物みそかつ 矢場とんに就職し、会社が持っているクラブチームでプレーしました。

平日は午前に練習で午後は仕事、土日はフルで働いていて、常に仕事が練習をしている毎日で結構ハードでした。

喰らいつくのに必死でした。

でも、矢場とんでも常にレギュラーで出るような選手ではありませんでした。

最後の1年間は兼任でコーチをやらせていただいて、練習を手伝って、後輩たちの面倒見ながら、自分のプレーもするみたいな感じの生活でした。

3年目の全日本クラブ選手権で、そこで準優勝したことは印象にだいぶ残っています。

別海パイロットスピリッツを選ぶ経緯を教えてください

なかなかレギュラーで出場できない日々が続き、年齢も年齢で、もう最後のチャンスとして、チーム変えようっていう決心をしました。

大学時代の先輩が士別サムライブレイズでプレーをしていたのを思い出し、北海道フロンティアリーグの合同トライアウトの応募を見つけて、トライアウトを受けました。

その結果、ありがたいことに別海から指名をいただけました。

北海道に来ることにためらいはなかったですか?

もうそれこそほんとに野球人生はこれで終わろうと思ってるんで、その覚悟でもう最後だしっていう思いが強くてですね、どこでも行ってやるぞっていう思いで来ました。

年齢的にもこれが野球人生最後の挑戦だと思い、勇気を振り絞って飛び込みました。

どんな人生を過ごしたいですか?

今のところ、特に深く考えてなくてですね、野球を最後までやりきりたいのが一番です。

そのあとは成り行きに任せて、流れに身を任せてじゃないですけど、そのまま流れでいこうかなって考えてます。

もし、別海が気に入ればそのまま定住するのも全然ありです!

素敵な奥さんを募集中です(笑)

別海ではどのように頑張りたいですか?

勝つことが僕は1番の地域に貢献になると考えています。

別海町の名前を知らしめるためにも、やっぱり勝って道外に出てグランドチャンピオンシップに出場するとか、楽しい中でも勝つっていうことが地域の発展に繋がるかなと思います。

あとは、別海は思ったよりも子どもたちとかが外で遊んでたりするんで、野球教室的なものもできれば1番いいのかなとか思います。

子どもたち、地元の人とたくさん交流していきたいです。

※ 北海道フロンティアリーグで優勝すると、日本独立リーググランドチャンピオンシップに出場できます。

野球が好きな理由は?

打者として投手との1対1の真剣勝負が何よりスリリングなところが好きですね。

真剣勝負すること自体なかなかなくて、1対1の勝負になるとスポーツの中でも珍しいですよね。

目の前のピッチャーと相対するっていうのが、歴史が好きっていうのもあって、侍みたいで真剣勝負の雰囲気が好きなんです。

あとは、どんなに格上の相手でも何が起きるか分からない、一瞬のチャンスで結果を生める可能性があるのも勝負が好きな理由です。

好き・嫌いなトレーニングメニューは?

ほんとにすぐ結果が出るってのが筋トレの好きなところです。

どんどん追い込んでいけば、どんどんどんどん体もでっかくなりますし、すぐに体に現れるのが好きです。

走るのは苦手ですね。

今までの仕事での学びを教えてください

矢場とんは飲食店で、主にとんかつを揚げるキッチン業務を担当していました。

並行処理というか、同じことをもうどんどん2つや3つぐらいを、同時にこなしていかないと絶対進まないので、その能力はだいぶ磨かれたと思います。

あと料理も多少できるようになったので、そこはだいぶありがたかったかなってのは思います。

野球以外に好きなスポーツはありますか?

正直、野球一本です。

ほかのスポーツを見ることもほとんどなく、人生の中心は常に野球です。

応援してくださる皆さんへ一言お願いします

必ずチームを勝利に導き、グランドチャンピオンシップ出場を果たします。

選手としても、チームとしても結果を出せるよう全力を尽くすので、応援よろしくお願いします!

この記事を書いた人

「日本最東端のプロ野球球団」
2024年9月北海道別海町で設立
北海道フロンティアリーグ2025シーズンより参戦
スローガンは「地域と共に未来を開拓」